される側の人間は我慢していただけ

 昭和では普通だったことが、今ではパワハラ セクハラ と言われていることが多々ある。

ただ、昭和でも普通だと思っていた人はする側の人間だけであって、される側の人間は我慢していただけなんだよね。

小学生の頃、中学生だった姉と電車に乗って出かけた時のことを思い出した。

知らない爺さんが突然近づいて来て、ボタンが取れたから付けろと言うのだ。

姉とふたりビックリしていると針を出してきて、他の女性にも頼んだんだけど急いでいるからとこれを渡されたと・・・

そりゃあね、困っている人がいたら助けたいですよ。

道に迷ったとか気分が悪くなったとかいろいろ考えられますけど、ボタン付けはね~

確かにね、女性のたしなみとして、ちいさな裁縫セットは持ち歩いておりました。

それが役に立つ場面もありましたが、しかし、ほとんどが自分のためであり一緒にいるひとのためですよ。

学校や職場で「ボタン取れたの?付けて上げる」なんて少女漫画みたいなシチュエーションだったら、心の中でガッツポーズしながら嬉々としてボタン付けをやったでしょう。

しかし、見ず知らずのジジイの上から目線なんて、パワハラ・セクハラ以外のなにものでもありませんね。

女性に持ち歩けというのなら、男性もたしなみとして持ち歩けばいいんですよ。

結局あの時は針しかなくて、糸はシャツに残っているものしかなく、ジジイが着たままでどうやって付けろって言うんだ状態。

姉は、シャツに付いたままの糸を針穴に通そうと悪戦苦闘しましたが無理でした。

ジジイは怒ることもなく「ありがとう」と言ってくれたように記憶はしているので、悪い爺さんでなないんですよね。

ただ、世の中の女性は家庭的で周りに尽くすのが当たり前だった時代、つまり、男性側の目線が正しいと思われていた時代の話です。

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